私は、地方のある県で教員経験(公立・私立含む)のある30代男性です。
学校の先生という職業は、いつの時代も一定の需要や憧れがある職業ではあります。
しかし、私の目線から見ればオワコン化している部分も散見されるのが事実です。
この記事では、教育現場の現状や今後の展望など語っていきたいと思います。
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教育現場の大きな流れ
この見出しでは、過去から現在までの教育現場の大きな流れについて解説していきます。
私は1980年代生まれで、いわゆる団塊ジュニア世代と言われる人々の一回り下の世代であり、ゆとり教育世代と言われる人々の少し上の世代ということになります。詰込み教育・受験戦争世代と学力低下・デジタルネイティブ世代に挟まれた世代とも言えます。
そんな私の育ってきた時代の学校教育を振り返ってみると、地域差は当然あることでしょうが、社会問題化した校内暴力などは沈静化してきた一方で、引きこもりや不登校などの問題がかなりクローズアップされてきた時代だったのではないかと思います。では、具体的に小学校時代から振り返ってみます。当時の小学校では先生という存在はかなり威厳のある存在としてとらえられていたように感じます。例えば、家庭内で親の言うことを聞かなければ「先生に言いつけるぞ」と言われたものですし、友達同士でも何かもめごとがあれば「先生に言うぞ」と言い合ったものです。また実際に教室内においても、先生によっては支配者のように教室という空間を制圧するかのごときクラス運営を行う人もあったように思います。当然のことながら、特に男性教員を中心として、言うことを聞かない児童や悪いことをした児童に対して、げんこつや平手打ちをくらわせることがありました。それから私が特に印象に残っているのは、給食の時間です。家庭のしつけやその児童の性格によっては、好き嫌いが激しい児童がどのクラスにもいましたが、当時の教育においてはそれを個性としては絶対に容認しませんでした。給食を時間内に食べられなければ、午後の授業中も一人でずっと給食とにらめっこすることになっていたし、放課後になり、皆が校舎を後にしても食べ終わるまでは自宅に帰らせてもらえないのです。このように今から二十数年から三十年前の小学校教育では、家庭は教師を尊重し教師と児童は師弟関係の色彩が濃く残っていました。
中学校時代には、やはり体罰的なものが当たり前のように残っていたと思います。違反の制服を着ていた生徒が、廊下で何度も平手打ちをされていたことは今でも鮮明に覚えています。しかし、そのような中でも社会の雰囲気としては少し変わってきている感じもありました。実際に生徒たちの間でも、半ば冗談で「教育委員会に訴える」というような発言がこのころからよく出てくるようになったのではないでしょうか。体罰は当然禁止すべきものという価値観が生まれ始めたのです。また、1990年代後半に入るといわゆるモンスターペアレントと言われるクレーマーのような保護者が増加したと言われており、家庭と教師の関係性も少しずつ変わってきていた時代でした。
高校時代に入ると、その当時は客観視することができていませんでしたが、同級生の中に周囲のクラスメイトたちと円滑にコミュニケーションが取れずに孤立する者や、不登校になる者が目立ち始めた時代であったかも知れません。今考えれば、発達障害や精神疾患が周りに理解されないことがその背景にあったのではないかと想像できます。しかし当時は生徒はおろか教師のレベルにおいても発達障害などに対する認識は極めて低かったのではないかと推察されます。2000年前後、徐々に集団の中の個人という時代から個人の集まりの集団という時代へと変化していく転換期でした。
さて、現在の学校教育を見ていきましょう。まず、現在の教師の立場は極めて低いと言わざるを得ません。教師という職種はもはやステータスではなく、はじめから家庭は教師と対等の立場であり、あくまでもビジネスライクの関係です。そのため、一旦ダメ教師のレッテルを貼られると保護者によってはまるでマウントポジションを取ったかのごとく上からモノを言ってこられることもザラにあります。そのような教師と家庭の関係は、図らずも教師と生徒の関係にも影響します。親が敬意を払わない相手に子どもは敬意を払わないのです。そのことも関係しているでしょうが、もはや体罰という言葉など死語と言ってもよいほどに現在の学校現場において体罰はほとんどありません。もちろん、だからこそ体罰を振るっている教師はニュースに大々的に取り上げられるわけですが、ごく珍しいケースと言ってよいと思います。それから、依然として、というよりも格段と生徒の発達障害などの問題は難しさを増しています。近年では合理的配慮という言葉が使われており、生徒それぞれの障害に応じて、配慮して教育を受けさせるという流れが一般的なものになってきています。集団にフォーカスするのではなく個人にフォーカスした教育がこれからの時代には求められてくるのでしょう。もちろん、文部科学省や教育委員会は「対話」や「協働」などと言った生徒同士、あるいは教師と生徒との関わりあいを重視した文言を並べてはいるのですが、果たして現実の生徒の実態や世の風潮とどのようにマッチングしていくのかという疑問は私の中で大きな問題として残ったままのものです。
以上のように、過去から現在にいたる教育現場の実態はめまぐるしく変わっています。何分、小学校~高校時代は生徒目線、今は教師目線での記述になっているため、若干見当違いの面もあるかもしれないことはお許しください。ただ、社会全体が凄まじいスピードで変化している以上、教育現場だけは旧態依然としているなどということはあり得ようもありません。これから教員を目指す方々は現在の教育現場のあり方を注視したうえで、この業界に入ることをお勧めします。
教員という仕事は割に合わない
この見出しでは、教員という仕事について説明していきます。教員の仕事といっても、その内容は公立か私立かにもよりますし、校種にもよります。また担当する教科にもよると思いますので一概には言えませんがあくまでも私の知る限りの範囲で述べていきます。ちなみに私は高校教師の経験しかないため、この記事の内容は高校に特化した内容になります。
まず給与についてです。教員の給与は総じて高いと言ってよいでしょう。サラリーマンの平均年収が400万円代ということから考えると、公立私立問わず平均を上回っていると思います。では、公立高校と私立高校を比べてみると、(都会)→公立<私立、(地方)→公立>私立といったイメージです。公立高校であれば、都会や地方による開きはそこまで大きくないのではないでしょうか。公立高校で校長ともなれば年収1000万付近であることは間違いありません。そういった意味では公務員で安定しているうえ高年収なのは公立高校ということになります。
私立高校では、大都市の、それも大規模校になれば平教員であっても年収1000万付近に手が届く可能性があります。逆に地方の小規模校であれば平均年収前後の給与しかもらえない学校もあります。このように言えば、狙いは大都市の大規模校あるいは公立高校ということになりますが、現実的にはそれはかなり難しい面もあります。まず、私立大規模校の場合は大学系列や複数系列校の場合が多く正規職員になるためには本部の採用試験などかなり難関な試験を突破しなければなりません。また、私立高校の場合は単に試験の点数ということだけでなく校長などからの推薦が必要になってきます。つまり、試験に合格する学力プラス校内での人間関係をうまく構築できなければ正規職員としての採用には至りません。その難関を突破すればそれだけの恩恵はありますが、かなり難しいことも事実です。
次に公立高校の場合は各都道府県の採用試験を受験しなければなりません。公務員の採用試験は人間関係などの私情は持ち込まれないので純粋に自分の実力勝負というところは、人によっては望むところでしょう。しかし、特に地方になれば少子化のあおりを受け教員の採用数は少なく倍率はかなり高いです。団塊の世代が大量に退職する時代になり若干採用数も増えてきていますが高倍率の状況は続いています。こちらも恩恵は大きいですが非常に狭き門です。
となると、地方の小規模私立高校で正規職員として定年まで働くことが教員になるための一番の近道ということになります。ただし、前にも述べたように地方の私立高校の給与となると高年収というものは望めなくなります。
このように、教師という仕事はコスパの良い職業かと問われれば、私は必ずしも「YES」とは言えないと思います。もちろん、どのような業界でも能力がある人ほど年収は上がりますし、能力がなければ低収入となります。また、教師という職業に聖職的な考え方をもっておられる方にとっては、収入は二の次だと言うことになってくるのでしょう。しかし、肉体的・精神的消耗度から考えれば、一定の高収入をもらわなければ割に合わないと思います。それだけの価値を生み出している職業だと考えています。
私の受けもった仕事を紹介します
最後の見出しでは、私が私立高校に勤めていた時の仕事内容を一部お話します。私は一時期、地方の小規模私立高校に勤めていました。教科は地理歴史科・公民科いわゆる社会の先生です。
私の場合もそうでしたが、そのような学校では年齢や経験に関係なく赴任した年度から担任を任されることが多いと思います。小規模校というのは底辺校であることも多く、私の勤務した学校もいわゆる底辺校と言われる学校でした。
さて、その学校で私が初年度に任されたクラスですが、不良・いじめ・不登校・家庭内暴力などニュースでしか聞いたことのないような出来事が凝縮されたクラスでした。はじめの4月に一人の生徒が「いじめ」で辞めていきました。1年生の終わりに女子生徒が「男女問題」で退学、2年次は「素行不良」の女子生徒が2人退学していきましたが、そのうちの1人の生徒は保護者からのクレームがとてもひどく、「○翼の街宣車を学校によこすからな」などと脅迫めいたことをされたこともありました。
また、場面緘黙と言って家庭外など環境が変わると言葉が出てこなくなる生徒もおり、対応に四苦八苦しました。何か問題があれば学校へ保護者の呼び出し、家庭訪問、場合によっては学年主任や校長・教頭との面談をセッティングしなければなりません。思い返せば、毎日のように保護者とのそういったやり取りを行っていたように思います。それも、日中は通常の授業が主とした業務になりますので早朝・放課後にそのような仕事をしなければなりません。
授業にしても、初年度私が受け持ったのは地理・現代社会・世界史の3教科ですが、これは中々大変なことで教員免許を持っていると言っても、日々の授業には教材研究と言って指導する単元を整理する作業が必須ですので、3教科にわたって教材研究をすることは一定の時間が必要になってきます。また、そのほかにも成績処理や校務分掌の業務、部活動等を同時並行的にこなしていかなくてはなりませんでした。このように、私としては超多忙な赴任初年度を過ごしていたと記憶しています。朝は7時頃に出勤し、夜は21時~22時頃に帰宅という毎日でした。
この記事では、私が教員時代に経験した様々な出来事をすべて書ききれないので、それはまた別の記事でご紹介していきたいと思っています。また、教員をするうえでネガティブな内容が多かったかもしれませんが、他の先生方と協力して問題を解決することや、生徒の成長を見ることができることなど、「やりがい」を感じられる場面ももちろんあります。最終的には自分がもつ能力と自分の性格などを考慮して自分にとって満足感ややりがいを感じられることは何かと考えてもらえれば良いと思います。その考える際の参考材料として今回はこのような記事を書かせてもらいました。
まとめ
以上、教員志望の方へ、私の経験と教育現場の実際を語ってきました。
①教育現場は集団から個の時代へ
②収入を求めるなら地方の公立・都会の私立を
③私立底辺校には過酷な仕事が待っている
このあたりがポイントです。
参考になるかどうかはわかりませんが、これからの進路の一助になれば幸いです。
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